小説 - 斎千 - 薄桜鬼短編集

レースのお印

薄桜鬼掌編集
明治十二年九月

 千鶴が土方から上海土産にもらった上麻糸は亜麻色と生成り色。長くお針箱に並べてうっとりと眺めるだけだったが、最近戸越の杉山ユキに教わりレース作りを始めた。杉山ユキは月に一度「春告鳥の会」に来て朗読をしている。隣家のお夏の家の居間で、千鶴が泣き本を読み、ユキは詩の朗読をする。集まる皆は詩の意味はよく解らないが、ユキの美しい声を聞いているだけで心持がよくなると喜んでいる。春告鳥の後、ユキは診療所で千鶴とレース作りをしながら、夫の津島淳之介が迎えにくるのを待った。夕方に斎藤と津島が巡察を終えて診療所に戻り、津島はユキと時雨に跨って帰っていく。斎藤と千鶴が二人を引き留めて夕餉を一緒に食べる夜は、馬を置いて馬車で戸越まで帰ることもあった。

 千鶴とユキが夢中になって作っているレースは「タッチング」と呼ばれるもので、ユキは英女学校で宣教師から作り方を教わった。銀製の糸巻きと縫い針を使って丸い図案模様を編んでいく。千鶴はあらゆるところに小さなレースを縫い付けて飾るようになった。斎藤が首に巻くチーフにまでつける。斎藤が誰に見せるものではないし、必要はないといっても、「お印」になるからと言って聞かない。レース編みが上達してくると、千鶴は斎藤の愛刀「国重」の鍔を模して印を編んだ。今日もそれを斎藤の刀袋につけて喜んでいる。

「これは池田様のおしるし。はじめさんを守って下さいます」

 斎藤は微笑んだまま黙っている。初めて江戸を出奔する際、兄から譲られた打刀。元々国重に付いていた鍔は丸四角のなんの変哲もないものだった。重心が重く振りやすかったが、池田屋騒動の夜に鍔迫り合いでひび割れた。討ち入りで出た怪我人の治療代と差料の修理の費用を会津公用方により賄われることが決定し、直ぐに国重を修理に出した。屯所に出入りをしていた黒谷お抱えの刀商が鍔を並べて見せてくれ、その時に初めて会津正阿弥の鍔を手に取った。四角に溝が波のように入っている重厚な作りに「重信」の銘。値を聞いて驚いたことをよく覚えている。その頃の給金の三倍はした。到底手は出せぬ代物。国重は刀身の肉が薄い。より軽くなるなら透かしが入っているものが良いと思い、正阿弥はやめて丸十字型のものを選んだ。会津住の金工士が作ったことは確か、無銘だが良い品で茎穴もぴったりと合った。以来ずっと手入れをして使ってきている。国重とは不思議な縁で、刀身に宿る精魂のような存在と京や会津で出逢ったことがあった。その者は自ら「池田国重」と名乗り。先の戦では共に戦い千鶴のことも守ってくれた。

 斎藤は奥の部屋の刀掛けから国重を持ってきた。改めて柄と鍔の造りを吟味した。片側の地が中心から外に傾斜があるため、鍔に血がかかっても透かしを通らず柄に伝わらない。よく出来ている。千鶴が斎藤の愛刀を大切に扱い会津産の無銘の鍔をお印としたこと。きっと池田殿も悦んでいることだろう。

 微笑む斎藤の前で、千鶴はレースつけに勤しんでいる。白鞘袋の帯にも小さな印。濃藍に美しい亜麻色の丸十字模様が浮かび上がる。斎藤にとっても、それはとても特別な。とっておきの代物に思えた。

おわり