小説 - 斎千 - 薄桜鬼短編集

お題『犬』

2018年1月18日 

 新選組が壬生に屯所を構えて居た頃のこと。

 ある日、幹部が寝所を借り受けていた八木邸の門前に蜜柑箱が置かれていた。中には子犬が二匹。真っ白と真っ黒のむく犬。巡察から戻った平助が見つけたのを、八木の家の子供が気に入り。八木邸で飼うことになった。
  名前はシロとクロと付けられた。二匹は八木の子供たち同様、新選組の幹部皆で可愛がった。二匹はすくすくと大きくなり、八木邸の門前に番犬のように座って巡察から戻る隊士を待つようになった。クロは、好奇心が強くて新選組の幹部の寝所や台所までやって来る。シロは八木の勇坊が可愛がり決して離れることはなかった。

  千鶴は台所にやってくるクロに、決まった時間に毎日餌遣りをしていた。クロは千鶴を主人と思っているらしく、千鶴が巡察について出掛ける時も後を付いてくる。いつの間にか三番組の巡察は犬付きとなった。まだ成犬になりきっていないクロは、巡察の途中で息もきれぎれになりながら必死でついてくる。斎藤がそれを見かねて抱きかかえて歩き。それでは巡察もままならないと見かねた千鶴がクロを斎藤から預かって抱えて歩き、最後には三番組隊士が交代で抱きかかえて屯所まで帰るのが常になった。

 夜にシロと一緒に八木邸の離れの小屋で眠る時を除いて、クロはすっかり千鶴と共にいるようになった。錦市場に千鶴が買い出しに出たときも、護衛の斎藤と一緒にクロは付いてきた。千鶴が市場で物をみつくろっている間、店先で斎藤がクロを抱えて待つ。市場でもクロは周りの人間に好奇心丸出しで尻尾を振り、行き交う人々に撫でられ可愛がられた。

 ある日、八木邸の前に立派な箱駕籠が止まった。中から羽織袴姿の男が下り立つと、八木邸の主人を尋ねた。ちょうど主人は留守中で妻のお雅が応対すると、男は大坂の船場からやってきたと名乗った。大広間に男を案内すると。その男は、大坂の両替商の手代で【鴻池善右ヱ門】の使いだという。お雅は、てっきり新選組の御用聞きと勘違いして慌てて土方を呼びにやった。広間に現れた土方に手代はお願いがあってまかり越しましたと深々と頭を下げた。

「こちらで飼われておられる黒いむく犬を、どうか譲っていただきたく」

 犬? 土方は内心驚いた。大坂の鴻池と聞いて、以前芹沢鴨が借金でもして証文片手に取り立てに来たのかと戦々恐々としたが、どうも話は違うようだ。手代の話では、鴻池善右ヱ門の嫡男が大層可愛がっていた犬を病気で亡くし、意気消沈として食事も喉を通らず寝込んでしまった。主人の善右ヱ門より「どこぞに代わりの犬を見つけて連れ帰れ」と命を受けて、亡くなった犬に似た犬を探し求めていた。壬生の新選組にお付きの犬が立派な黒いむく犬だという噂を聞きつけてはるばる船場から尋ねて来たという。

「どうか、どうか、私どもを哀れと思って譲っていただければ」

 手代は畳に額をすりつけて何度も何度も頭を下げて頼み込んでくる。八木のお雅は、「うちの息子はもう一匹のシロを可愛がっているから、クロを余所にやってもなにも差し支えはあらしまへん」と涼しい顔で答えた。土方は、千鶴がクロを可愛がっているのが気になったが相手は豪商鴻池、ここで断れば後々困ることになるとも思い暫く腕を組んで思案した。

  土方は千鶴を広間に呼んで事情を話した。千鶴に向かって、「どうか、どうか」と頭を下げ続ける手代に千鶴も困った表情をしていたが、そこまでクロを大切にしてくださるのならと譲り渡すことを承諾した。手代は大喜びで目尻の涙を拭きながらお礼を言うと、懐から金子を包んだものを丁寧に土方に渡して、近日の大安の日にお迎えに上がりますと言い残して帰っていった。

  包みには、新品の金五十両が入っていた。取り敢えずの【結納】でございます。そう手代は言っていた。土方は千鶴にクロにうまい物をたんと食わせて可愛がってやれと一両を渡した。それから大安の日がくる迄の十日間、千鶴と三番組隊士はクロを可愛がり別れを惜しんだ。斎藤は非番の日にクロを連れて、鴨川まで千鶴と散歩に出掛けた。三条河原の草むらを思う存分駆け回るクロを千鶴と眺めて、「鴻池新田はここよりもっと広い屋敷だ。きっとクロは庭で好き放題走り回るようになる」と話した。

 そして、大安吉日。大きな御所車とお輿が八木邸の前に着いた。紋付き袴を履いた手代が、お付きの物と祝い品を屯所の大広間に運び入れた。

 熨斗(のし)
 白扇(すえひろ)
 小袖料(こそでりょう)
 家内喜多留(やなぎだる)
 松魚料(しょうぎょりょう)
 寿留女(するめ)
 子生婦(こんぶ)
  角樽(つのだる)

 千鶴はクロを朝早くから肉球を綺麗に濡れ布巾で拭き取って櫛を通しておいた。大広間で手代に挨拶をすると、「誠にお日柄もよく、今日の日をお迎え出来嬉しい限りでございます」と深々とお付きの者全員が頭を下げた。

 八木邸の門前では鴻池から祝い菓子が近所中に配られ、小さな通りは大勢の人でいっぱいになっていた。クロは手代に抱っこをされて用意された輿に乗せられた。黒漆の輝くような輿には緞子(どんす)のふかふかの座布が敷かれ。その上に座ったクロはきょとんとした表情をしている。千鶴が高く持ち上げられた輿を見上げると、クロは尻尾を振って千鶴に向かって元気に吠えた。手代の合図で輿が進むと、千鶴はずっと大通りにでるまで追い掛けた。そして道の向こうに輿が消えるまで千鶴は見送った。

大粒の涙を流してずっと佇む千鶴の傍で、千鶴が泣き止むまで斎藤はじっと立っていた。

「人好きのする者だった。むく犬は神の使いともいう。大坂でも大層可愛がられるだろう」

斎藤はそう言って千鶴を慰めた。頷く千鶴は、心からクロの幸福を祈った。

こうして屯所で可愛がられたクロは大坂に貰われて行った。クロはその後鴻池の嫡男に大層可愛がられたという。この縁で鴻池善右ヱ門は新選組に信用貸しをするようになり、その援助は戊辰戦争の終わりまで続いた。箱館戦争の最中、善右ヱ門は負債を覚悟で土方の為に大坂から箱館まで物資を商船で運び、大いに新選組を助けた。




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お題『犬』


 戊辰戦争の最中、福良の本陣に千鶴は待機をしていた。

 本城であった小峰城が二度目の合戦で薩摩藩に奪われた後は、陣を福良に移して城奪還の機会を待っていた。宇都宮から敵軍の応戦部隊が北上していると情報が入った。大平口だけは死守しなければならない。敵の進軍を防げば、容易に城の奪還は叶う。本陣での軍議が行われた後、斎藤達伝習隊は夜の間は待機して早朝に柏野に陣を張ることになった。

 斎藤が千鶴の待つ部屋に戻ったのは、夜も更けてからのことだった。千鶴が夜の食事を早くに用意した後、隊士達が皆で戦支度を始めていた。千鶴は握り飯に味噌をつけて焙って内飼に入れたものを人数分作った。皆は「有り難い」と言って、腰に内飼袋を巻くと今夜は待機して暁七つには出陣すると裏庭に出ていった。いよいよ出陣。千鶴は気が落ち着かないまま、行灯の灯を消した後もじっと部屋の隅に座っていた。

 斎藤は千鶴がまだ休まずに起きていることに驚いていた。千鶴は斎藤の為に床の準備をして、「少しでも横になってください」と言って休ませようとする。斎藤は、今が一番目が覚めていて活動しやすい。昼間の軍議は数時間で終わって、睡眠はとれている。斎藤は千鶴に嘘をついて、十分に休息はとれているから、先に休むように言った。千鶴はじっと斎藤の目を見詰めると。
「せめて横になるだけでも」
 と言って、斎藤の腕に縋るように近づくと小さな声で呟いた。福良の山中で互いの気持ちを確かめ合って以来、二人きりになることは殆どなかった。斎藤は、千鶴を抱きしめた。

「ああ、少しでも休んでおこう」

 斎藤はそう言って千鶴に添い寝をするように床に横になった。

「吉田さんが、米村にお一人で向かわれたと」

 千鶴が小さな声で囁く。吉田俊太郎は三番組に古くからいる隊士で、伍長の伊藤鉄五郎の右腕だった。明日の出陣に向けて、自ら斥候として敵陣の様子を探る。そう言って日没に出発した。

「吉田は大丈夫だ」

 珍しく斎藤が直ぐに言葉を返した。いつも慎重に言葉をつなぐ斎藤が、千鶴を遮るように話す事はめったにない。

 千鶴は斎藤の顔を見上げた。障子越しの月明かりで斎藤の髪と瞳は青く、じっと千鶴の瞳を覗き込むように見詰める視線は優しかった。

「吉田は【陸奥の疾風太郎】だと自分で名乗っている」
「疾風太郎?」
「ああ、本物の疾風太郎は、信濃の伝説の山犬だ」

「遠江の里では田畑が荒らされ、神様の祟りだと人身御供を差し出していた、旅の僧侶が祭りの夜に神様の姿を確かめると、それは大きな怪物で、『信濃の疾風太郎おるまいな、疾風太郎には知られるな』といいながら、娘をさらっていった。僧侶は光前寺の山犬を借り受けて、怪物を退治させた」

 神様の正体は大きな狒狒の化け物だった。犬猿の仲さながらの話だ。斎藤が微笑みながら話すのを、千鶴は真剣な表情で聞いている。

「吉田は、足も速く腹が座っている。剣の腕は皆が知るとおりだ。鼻がきく。敵が近づくのは匂いで判るといっている」

「三番組の疾風太郎だ」

「敵の動きを探ったら直ぐに戻ってくる。案ずるな」

 斎藤は千鶴の髪を撫でた。千鶴の緊張した表情がいくらか緩んだように見えた。斎藤は、安心させようと話したことで、余計に千鶴の目を覚まさせてしまった気がした。

「目を瞑るがいい。傍についている」

 千鶴は、小さく頷くと目を瞑った。斎藤は千鶴の背中に手を回して抱き寄せた。出陣したら今回は大きな戦になる。吉田だけでなく、我ら全員で獅子奮迅の勢いで攻めなければ城は墜とせない。

「信濃の光前寺ですね。いつか行ってみたい……」

 腕の中の千鶴が小さな声で囁く。

「ああ、疾風太郎がまだ生きているやもしれぬ」

 斎藤は千鶴の髪に口をつけながら呟いた。千鶴は斎藤の胸に頬を寄せて身体を近づけると、「はい」と返事をした。上からみる千鶴の表情は柔らかく、そのぬくもりは斎藤を落ち着いた気分にさせた。目を瞑った二人は、白河や遠くの信濃の山を怪物を蹴散らし駆け回る山犬を想像した。互いに眠りにはつけずにいたが、不思議と静かな気分で抱きしめ合ったまま二人で朝を待った。








(2018.01.18)