小説 - 斎千 - 濁りなき心に

池田屋

濁りなき心に 5

 四国屋前で待ち続けて半刻。

「土肥、長州、ひーふーみー……」

 土方が壁にもたれて指で数えている。

「京都守護職に助っ人を頼んだが、この辺りだけでも藩屋敷が四つはある。そっちに人が廻っているとして……俺らだけでここを押さえねえとな」

「守護職のお役人は何を考えてんだか知れねえが、俺らが手が足りねえってわかってて、見廻組も寄越さねえ。正直、ちっとも当てにしてねえよ」

 原田左之助が槍を肩から下ろしながら、吐き捨てるようにそう言うと。

「ま、俺らでこんだけ囲めば、おかしな事しようって奴等は全員仕留められる。だよな? 斎藤」

 斎藤は、黙って頷いた。

「それにしても、凄い風だ。呼び笛も聞こえやしねえ。こんな夜に火をつけられたら、御所どころか市中全部燃えちまう」

「俺は江戸地震の火事の時、小伝馬町に居た。風が吹くと火が回るのはあっという間だ」

 土方はそう言って辺りを見渡した。四国屋の灯りは変わらずにぼんやりと明るい一方、通りの半間先は闇。風が吹く以外は物音もせず、辺りに人通りはない。

「奴等が動くのが真夜中だとして、あと数刻で討ち入る」

 土方が静かにそう告げると、斎藤は黙ったまま頷いた。建屋の中で撃ち合い。三番組が先に出るつもりでいた。その後ろに土方。原田は玄関先で建屋から逃げる者を槍で仕留める。暗黙の内に、それぞれの役割を考え、いよいよ攻め込もうとしていた矢先。道の向こうから行灯が動くのが見えた。攘夷志士か。斎藤はじっと目を凝らす。月明かりが殆ど届かない闇の向こうで、小さな灯りがどんどん大きくなる。

 急ぎ走る様子にただならぬ気配を感じ、斎藤は鯉口を切りながら道の端で構えた。原田が反対側の道の端に立って様子を伺う。風の音に混じって、人が走る足音が近づく。すると原田が腕を拡げて走り寄る人影を留めた。

「なんだ、千鶴じゃねえか」

 驚いた原田は、ふらついている人影に近づくと、その手に持っている提灯を取って、顔を照らした。斎藤と土方が駆け寄ると、千鶴は両膝に手をついて、息を切らしている。

「伝令。会合は池田屋」

 と千鶴は息も絶え絶えの様子。

「なんで千鶴、おまえがここに。屯所を逃げ出して来たのか?」

 原田が驚きながら尋ねた。

「こいつが逃げ出す訳がねえ。伝令は山南さんからか?」

土方が訊くと千鶴は大きく息をついて頷いた。

「守護職はどうなんだ。池田屋に向かってんのか?」

 千鶴は大きく首を横に振った。

「途中で……土佐藩士に……停められて、山崎さんが」

息を切らし千鶴は答える。斎藤は驚きながら千鶴を見た。土佐藩士と斬り合いになったのか。斎藤は枡屋での一件を思い出した。

「よし、池田屋に向かう。原田、裏の連中を呼んでこい。伝令ご苦労。お前は屯所へ戻れ」

 土方は千鶴にそう言うと、提灯を持たせようと突き出した。その瞬間、「副長」と斎藤が遮った。

「雪村を独りで返すのは危険至極」

 土方は逡巡したあとに千鶴に向かって言い放った。

「それなら、千鶴。斎藤に付け。斎藤、こいつも池田屋に向かう」

 そう言うと、土方は腕組みをして皆が集まるのを待った。

***

 井上率いる隊士達が集まると、斎藤たちは池田屋に向かい駆けだした。四国屋からおよそ一町先の宿に直ぐに着いた。玄関前には、既に浪士が数人倒れているのが見えた。土方は、隊を二つに分けた。原田と井上は店の裏側に廻らせ、斎藤と三番組隊士は正面玄関から突入するよう指示を出した。それから土方は、池田屋から半間手前の三条大橋近くまで戻ると、そこで遅れて伝令に来た山崎と合流した。山崎から守護職や桑名藩の役人が出発するのは亥の刻過ぎだと報告を受けた。

「思った通りだ。後から来て手柄を横取りされちゃあ、こっちは堪ったもんじゃねえ。おい、山崎、此処で京都守護職を留め置くぞ。一歩もこっから先に通しちゃならねえ」

土方は不敵に笑うと、腕組みをして真っ直ぐ前を見た。

「なあに、近藤さんが攘夷の奴等をみんな仕留めてるだろうよ。池田屋から逃げて来る奴は此処で斬り捨てろ」

 土方が山崎と外を守る間、先に討ち入った近藤隊を追って、斎藤は千鶴を死番の隊士と前後に挟む様にして池田屋の玄関に向った。

「雪村、決して前には出るな」

 斎藤は後ろの千鶴に静かに念を押すと、隊士に目配せした。

「参る」

 斎藤の掛け声で、どっと三番組は駆け込んで行った。

*****

 玄関の上り口は暗く、近藤が浪士と斬り合っていた。近藤は斎藤に気がつくと、

「着いたか。心強い」と言って笑顔になった。斎藤は抜刀して土足のまま階段を駆け上がる。

「おい、斎藤。今晩は俺が先手取った」

 と永倉新八が自慢気に叫ぶ声が階下から聞こえた。振り返った千鶴は、浪士と斬り合う永倉の姿を見た。その手から血が流れているのが見えて、千鶴は驚いた。

「今回は譲ろう」

 静かに斎藤が答えながら、階上を見上げている。

「斎藤、二階の総司を頼む」

 階下から近藤の叫ぶ声が聞こえた。その瞬間、階段の上から浪士が斬りつけて来た。斎藤は一撃で薙ぎ払う。千鶴は小太刀に手を掛けながら身を竦めた。階上から次々に斬られた浪士が傾れ落ちて来る。千鶴は階段の途中で足を踏ん張り抜刀した。

 階段の手すりと倒れた浪士の間をすり抜けた瞬間、階上から刀を振り上げた浪士が斬りつけて来た。千鶴は肘を上げて小太刀で受けようとした、その瞬間斎藤は袈裟懸けに浪士を斬りつけた。

「雪村、俺の前に出てはならぬ」

 斎藤は厳しい口調でそう言って、千鶴の前に立った。身を竦めながら頷く千鶴に斎藤は振り返った。

「あんたに死なれては、寝覚めがわるいからな」

 一言呟くと、斎藤は刀を振るいながら前に進んだ。

 暗い廊下の向こうに、刀を構えて待つ浪士が何人も居るのが見えた。斎藤はこれ以上奥に千鶴を連れて行くのは危険だと察した。

「雪村、一旦このまま下がる。味方に怪我人が出ている」

 斎藤は後退りしながら、死番の隊士に目配せして階下に千鶴を誘導した。階下はほぼ敵の制圧が終わっている様子だった。

「雪村、あんたは怪我人の手当てが出来るか?」

「はい、止血や傷の手当てなら」

 斎藤は微笑した。

「十分だ、階下に新八がいる。怪我人を頼む」

 そう言って、斎藤は千鶴が無事に階段を駆け下りて、永倉と玄関から出るのを確かめると死番の隊士とともに再び二階へ駆け上がった。

*****

池田屋二階

 暗がりに目が慣れると、階上の廊下沿いの両部屋に潜む敵がどの手で出て来るのか、斎藤には手に取るように判った。廊下をゆっくりと摺り足で進み襖の陰から、突きで飛び出す浪士を躱して平打ちにする。二階に総司が居る。あの奥座敷か。斬りかかる浪士を次々に薙ぎ倒しながら、斎藤は廊下を突き進んだ。その背後では三番組が浪士と斬り合っている。

「伐つのはやめて、捕らえろ」

 近藤の叫ぶ声が聞こえる。

 そのとき、奥座敷の右側の襖から聞き慣れぬ声がした。

「壬生狼とのたまう割にこの様か、その身体では盾にもなれまいに」

「何だと? お前ら全員討ち取ってやる」

 平助の声が聞こえた。その瞬間、衝撃音とともに壁が揺れた。斎藤は刀を握り直すと、左脚で襖を開け放った。

 奥座敷の窓際に男が立って居る。逆光で顔は見えぬが、髪は金色で浪士らしからぬ紗の派手な柄羽織に右手に太刀を持っていた。目の前の畳に膝をついて息も絶え絶えな総司の姿が見えた。

「僕は、まだ戦える……ぼくは役立たずじゃない……」

 総司は打刀を構えようとするが動けない。斎藤は、総司を庇うように前に進んだ。

「フッ、狗どもが。よほど群れるのが好きと見える」

 嘲笑うようなその声の主は、全く戦う様子もみせず、斎藤と総司を見下している。左奥の床の間の前には大きな背中が見えた。壁からは砂埃が舞い立っている。その向こうに倒れているのは平助か。斎藤は刀を構えて窓ににじり寄った。

「我々は、薩摩藩の命で今夜の会合を偵察に来たまで。あなた方、新選組と刀を交えるつもりはございません。風間、それ以上の挑発は控えられますよう」

 平助の前で背中をけていた大きな男は窓辺の男にそういうと、斎藤に向き直り一礼した。風間と呼ばれた男は、ゆっくりと刀を鞘に収めると、欄干に手を掛けて跨ぎ窓の向こうに消えて行った。もう一人の男が続いて窓から姿を消した。斎藤が窓に走り寄った時、既に建屋の下にその姿は無く、裏庭で左之助が大奮闘する声が聞こえた。

 背後で咳込む総司が、ドサっという音を立てて畳に倒れた。抱き起こすと、着物の前が血だらけだった。

「総司」

 斎藤は怪我の具合を確かめた。斬られていない、血が滲む口元が見えた。舌を噛んだか。斎藤は窓の明かりで総司の生死を確かめた。息はしている。斎藤は総司をそっと寝かすと、傍らの打刀を取って鞘に収めた。床の間の壁に背中から打ちつけられたように倒れている平助は額が割れて顔じゅう血だらけになっていた。

「痛え、何にもみえねえ」

 平助の呻く声が聞こえた。斎藤は平助に意識がある事に安堵すると、平助を助け起こし総司の隣に運んで寝かせた。二人に敵が逃げた事と池田屋の制圧がほぼ終わったと伝え、救護の者を呼ぶまで此処で動かず待つよう伝えた。

 池田屋の残党は全て捕らえられた。斎藤は池田屋の玄関に戻り、手隙の隊士に二階の総司と平助を運び、手当てをするよう命じた。玄関の外は、怪我をした隊士が集められていた、その中で千鶴が一心不乱に救護に当たっている。桶の水で傷を洗い布を当てている。平隊士に指示をして、傷の酷い者は戸板を剥がした上に寝かせ、直ぐに運び出せるようにしていた。

 何処で見つけたのか、布切れのようなものを器用に裂いて包帯にしている。添え木をつけて脚を縛られている者もいた。近藤の合図で全員が池田屋の玄関に集まった。

 土方から闇討ちの恐れがある為、明け方まで会津藩邸で待機する。怪我の酷い者は屯所に先に運ぶよう指示があった。斎藤は三番組の隊士に負傷者が居ない事を確かめると、屯所への怪我人運搬と会津屋敷に向かう班とに分けた。傍に立って居た千鶴に、怪我人と一緒に屯所に戻るよう伝えると、千鶴はキョトンとした顔をした。

「斎藤さんは会津屋敷に向かわれますか?」

 斎藤は頷いた。

「斎藤さんから離れないようにと言われています。私も連れて言ってください」

 今度は斎藤が驚いた。

「一緒に行くというのか?」

「はい、屯所には山南さんがいらっしゃいます。山崎さんもお医者さまを呼んで戻られると」

 斎藤は山南が瀕死の隊士をどの様に扱うか予想した。その場に千鶴がいない方が良かろう。逡巡する斎藤をじっと見つめる視線に気付くと、はっきりと応えた。

「それならば、会津屋敷に向かう。三番組で護衛する」

 千鶴は頷くと、運ばれて来た総司の手当てを再び始めた。腹部に強打の痕。千鶴は手を当てて、骨の具合を確かめた。胸の骨は折れていない。内腑が原因で吐血した様子を見て、腹か肺の袋が破れてる可能性があると思った。総司の首を横にしたまま、静かに運ぶ様に救護班の隊士に念を押した。平助の傷は心配なく、屯所で糸で縫う必要があると本人に伝えた。千鶴は怪我の酷い者を順番に並べている事を救護班に伝えると三番組の隊について池田屋を後にした。近藤達が最初に突入してから、討ち入りはおおよそ半刻で終わった。闘死者十名、捕縛者四名、新選組にも死傷者が出た。五番組伍長の奥沢、二番組の新田は裏庭で攘夷志士との死闘の末果てた。明け方までに、池田屋周辺に潜伏する攘夷派の浪士二十名が更に会津藩、桑名藩により捕縛された。

 会津藩邸の庭で待機していた新選組は、そのまま留め置かれた。待機している間、斎藤は土方と近藤に、池田屋の奥座敷に薩摩藩の密偵と思われる輩が潜んでいた事を報告した。総司と平助で対峙していた所を取り逃がした様子を伝えると、土方が応えた。

「大方、薩摩藩の尊王派の連中だろう」

「天子様に楯突く奴等を探ってるとすりゃあ、長州藩の敵ってところか」

「何れにせよ、密偵を取り逃がしたのは残念だ。薩摩の情報を訊く手立てが欲しい」

 斎藤は池田屋の窓から忽然と姿を消した二人を思い返していた。総司と平助が二人で掛かっても、制圧できない程の手練れだった……。

 近藤と土方が池田屋での経緯を松平容保公に直接報告をし終わり、壬生への帰路についた頃には陽が高くなり始めた。近藤を先頭に新選組の旗を掲げて街を行くと、沿道で多くの人集りが出来ていた。

 池田屋での騒動は洛中で知れ渡り、新選組が名を上げた初めての出来事となった。隊の殿は何時もの如く、斎藤と死番の隊士。千鶴は会津屋敷の庭で明け方に寝入り始めた。起こさぬよう、そのまま斎藤が抱えて屯所に向った。

「ゆうべの伝令から、余程気が張ってたんだろうよ」

 スヤスヤと眠る千鶴の顔を見て、左之助が笑っている。

「ああ」

と斎藤は微笑した。千鶴はくったりと斎藤の肩に頰を寄せている。

 (小さくて、柔らかいものだな)

 安心しきった様に眠るその顔を見て、斎藤は千鶴の無事を心から嬉しく思った。

 

*****

 屯所に辿り着いた新選組は、会津藩の指示により桑名藩に協力し残党捕縛の任に着いた。その日の夕刻、黒谷よりお抱え医師が屯所に到着し、負傷した隊士達の手当てにあたった。雪村千鶴は山崎烝と一緒に救護班として、怪我や暑気あたりで寝込む隊士たちが休む前川邸と、幹部が軍議を開く八木邸を行ったり来たり忙しく動き回った。新選組の残党狩りは幕府の追補の命の通達により更に激しくなり、斎藤たちは連日不逞浪士を見つけては屯所に連行し尋問を執り行った。事件より数日後、新選組の池田屋での武功は会津藩は元より幕府にも認められ、碌位が下りる内示が出た。久しぶりに近藤が屯所に戻り幹部を集めたその日、池田屋で負傷した平助が起き上がれる様になり、包帯を額に巻いて大広間に現れた。

「平助、どうだ? 傷の調子は」

「もう直ぐで糸が取れる。もう大丈夫。土方さん、そろそろ残党狩りにも出られるんで、よろしく」

 平助は胡座をかいて左之助と新八の間に腰を下ろした。

「大丈夫かよ。さっきも千鶴に薬付けて貰ってる間、痛い痛いって大声あげてたじゃねえか」

「大丈夫、大丈夫」

 平助は屈託なく笑っている。

「俺も親指の付け根斬ったけど、千鶴ちゃんの手当てで、ピタッと血が止まって助かった」

 新八が自分の左手の傷跡を見せた。

「池田屋の階段から、あの子が駆け下りて来たときは心底たまげた。まさか討入りに来てるなんてよお。それも小太刀抜いてたんだ」

「聞いた聞いた、二階まで上がったって、はじめくんは千鶴に無茶させ過ぎ」

 平助は話の矛先を斎藤に向けて口を尖らせている。斎藤が黙ったままでいると。

「総司に聞いたが、枡屋で雪村君は総司の助太刀をしようと小太刀を抜いて構えたらしい。おなごにしては、実に雪村くんは度胸が据わっているな」

 近藤が感心しながら笑った。

「あいつは蘭方医の娘だから、血を見ても驚かねえ」

「そうそう、池田屋でも。玄関の中に戻って来て、斬られて死んでる浪士の中着の袖や袴を千切って、それで手当てしてた。 俺、思わず手を止めて見ちまった。こうやって、首に手を当てて確かめて。死んでるって判ったら、手を合わせて拝んでから、ビリっと着物引き千切って持ってって」

「仏さんも、身包み剥がされたら、堪んねえな」

 左之助が笑っている。

「堪んねえよ。ま、あの子のお陰でこっちの怪我人は助かったんだけどよ。永倉さん、親指は暫く、こうやって心の臓より高く持ち上げて下さい、ってさ」

 新八は千鶴の真似をしながら笑った。

「可愛い顔して、そこらの平隊士よりよっぽど肝が据わってんだ。あの子は」

「総司の悪戯にも、驚きはするが最後は気丈に笑ってる。だよな? 斎藤」

 と左之助が首を向けると、微笑しながら斎藤は頷いた。

「簀巻きの時の騒ぎか?」

 と土方が笑顔をみせた。近藤が鸚鵡返しのように尋ねた。

「なんだ、簀巻きって?」

「総司が物干しの敷布で千鶴を簀巻きにして、鴨川に投げ込むって、脅かしたんだよ」

「千鶴はいつもみてえに、斎藤の名前を叫び続けて。そうしたら総司の奴、千鶴を肩に抱えて屯所の門の外に出て行った。お雅さんまで追っかけて行って。総司は壬生寺の境内に逃げ込むは、斎藤が千鶴を奪い返したが、あん時は人集りも出来るぐらいの騒ぎになった」

「そんな事があったのか」

 と近藤は驚いた。

「簀巻き、って女郎の足抜けでもあるめえし、よく千鶴ちゃん平気だったな」

 永倉が言うと。

「俺は屯所の玄関で見てた。斎藤がそのまま千鶴を抱えて帰って来て、敷布をとってやろうとしたら、総司がまた千鶴を奪い返して広間に逃げたんだ。寝かせた千鶴の敷布の端を持って思い切り引っ張って拡げたもんだから、千鶴は、きゃーって叫んで縁側までゴロゴロ勢いよく転がっていって」

 左之助は笑いながら話している。

「斎藤が慌てて受け止めたから、怪我はなかった。千鶴は斎藤に抱えられたまま笑っていやがった。あの後、俺はお雅さんに『騒ぎはやめといておくれやす』って散々小言をいわれて。総司の奴、掴まえてとっちめてやった」

「簀巻きにされた千鶴はちっこくて、蓑虫みてえで。後で千鶴にそう言ってやったら、自分でもそう思ってたって、クスクス笑いだしてな」と笑いながら左之助は湯呑みに手をつけた。

「あんな目にあっても、あいつは総司を怖がることもねえ」と感心する土方に全員が頷いている。

「それでも、この前は流しに蛞蝓が出たって、大騒ぎしてさ」

 平助が得意そうに話し始めた。

「こんな大きなのは生まれて初めて見た、とか言って半べそかいてんの」

「俺が塩振り掛けときゃ溶けちまうから、心配ないって言っても。溶けた後は何処に行くんだ、とか訳わかんないこと言って。すっげえ可愛かった」

 平助は嬉しそうに笑っている。

「考えたら、江戸から男の成りで独り上洛したってのも千鶴だから出来たんだろうよ」

 左之助が感心しながら呟くと近藤が応えた。

「父親に会いたさ所以だろ。何としても我々は綱道さんを見つけてやらねばな」

 これを聞いた平助が問い返した。

「綱道さんが見つかったら、千鶴は江戸に戻るの?」

 近藤は暫く考えた後に応えた。

「おそらくそうなるだろう。綱道さんは幕府の御典医になると聞いている」

「ふーん、千鶴は江戸に戻っちまうのかあ」

 平助はそう呟いたきり黙ってしまった。千鶴の処遇については、初めて屯所に千鶴を連れて来て以来、幹部其々が気にかけていた。池田屋での働きで幹部に信頼を得た千鶴は、屯所の生活の中でも掛替えのない存在になっていた。黙りこんだ皆の前で、土方も近藤もそれ以上は千鶴について言葉にすることをあえてしなかった。そして会津藩から下った新たな残党捕縛命令と翌日の段取りだけを確認して、幹部会はお開きになった。

 大広間で終始黙っていた斎藤は、その晩部屋に戻ってから刀の手入れをした。普段は無心になるものだが、平助の一言が頭から離れない。

 綱道さんを見つける為。雪村が留め置かれる理由はそれだけだ。新選組にとっても、変若水の改良、そして羅刹を抑える術を知っている綱道さんを一刻も早く見つけなければならない。そして、綱道さんが見つかれば、雪村は……。

 ずっと抑えていた想いが心中を巡り出す。

 屯所の中庭で自分を呼び、駆け寄ってくる雪村。

 独り中庭で寂しそうに空を見上げてる姿、畳んだ洗濯物を手渡す時の小さな手。

 溢れるような笑顔。

 ふと、振り返りながら屯所を去っていく千鶴の姿が見えるような気がした。

「それまでは、我らが守る」

 斎藤は、刀を前に掲げると静かに呟いた。

 それは、誰からの命でもなく斎藤が己に命じた強い決心だった。

 新選組が残党狩りに市中を駆けまわっていた間、池田屋で討取られた側の長州藩は事件の報に激高し上洛進軍の決意を固めた。進発隊が海路大坂に入り、長州軍が上洛する恐れが会津藩にも知らされた。ただちに新選組は別手組を結成し、局長の近藤が自ら隊を率いて東本願寺に向かい、会津藩からの要請を受けて賀茂川九条河原に宿陣した。伏見からの進軍を押さえるべき竹田街道を取り締まる為である。長州軍は伏見、嵯峨、天王山方面で滞留し、進軍の気配を見せない。市中は今にも戦が起きるのではと恐れる町民が慌てる様子を見せ始めていた。その混乱の中、新選組は次々に不審者を取締り厳しく尋問していった。

 九条河原の陣営から幹部が交代で屯所に戻る日々。千鶴は怪我人の世話に追われ前川邸の中庭で捕縛した不逞浪士を連行する斎藤の姿を見かけたが、言葉を交わす暇もないままになっていた。

 それから二十日ばかり経った七月の半ば過ぎ、会津藩から正式に長州藩の攻撃から御所を守備するよう要請があった。幹部が集められ、池田屋での負傷者や体調不良の者以外は全員で会津藩の援護をするために出陣する下命が知らされた。

つづく

(2025.11 加筆修正)