小説 - 斎千 - 濁りなき心に

枡屋喜右衛門

濁りなき心に 4

元治元年五月

 朝から千鶴は三番組の巡察に同行した。

 総司が率いる一番組と一緒に壬生の屯所を出て四条通りを下る。烏丸で総司たちと分かれ、河原町に着く頃には陽も高くなり汗ばんだ。千鶴は隊の後ろに付いていた。千鶴の後に斎藤が最後尾を歩く。斎藤の右側にはいつもの背の高い平隊士が付き、暑い暑いと手拭いで汗を拭いている。

 隊の殿は死番が務める。巡察では背後から襲われるのを最初に防御する役目。夜の巡察では路地や屋内の隠れ階段など敵が潜む場所を一番先に検めるのも死番。三番組では死番は輪番制をとらず、斎藤と伍長で腕のいい平隊士を指名していた。死番の隊士は何時でも抜刀出来るよう常に斎藤の右側を歩く。斎藤は隊の左から後ろを守る。千鶴は常に一番安全な状態で歩く事が出来た。

 祇園社の夏越の大祓で暑い日中も人出で賑わっていた。斎藤が隊から離れ、建屋の中に入ると千鶴は一緒に付いて行く。千鶴も店の売り子に聞き込みをして綱道の行方を捜した。この日も高瀬川に架かる四条小橋で一旦引き返し、茶屋の日陰で隊士達は休憩をとった。斎藤が茶屋の奥から出て来ない為、千鶴は隣の酒屋の店先で主人に剃髪の蘭方医風な男を見かけなかったかと尋ねた。

「へえ、蘭方医……そういえば、そないな風なひとを見かけましたな。二、三日前に枡屋さんで」

 千鶴は枡屋の場所を訊くと、小走りで向かった。表通りから一つ目の角を曲がり裏通りに出ると、一丁先に枡屋の看板が見えた。

 (あれ、千鶴ちゃんじゃない?)

 道の反対側から沖田が一番組の先頭を歩いて来ていた。半間先に千鶴の急ぎ走る様子を見て、不審に思い咄嗟に駆け出した。一方、斎藤は茶屋に千鶴の姿がない事に気付き、死番の隊士に千鶴を探すよう命じた。急いで表通りに出たが千鶴の気配はなく、斎藤は嫌な予感がして裏通りに駆け出した。

 千鶴は炭問屋枡屋の玄関に入ると、「御免下さい」と呼び掛けた。薄暗い店内には誰も居らず、奇妙な静けさを感じた千鶴は、それでも何度か奥へ呼びかけた。「へえ」と声がして店の主人らしい男が出て来た。

 一瞬、真顔で千鶴の顔を見た後、ニッコリと笑顔に変わり、「いらっしゃいませ」と頭を下げる主人に、千鶴は頭を下げながら訊ねた。

「すみません。人捜しをしていまして。お尋ねしたいのですが、此方に」

 そう言いかけた瞬間、店の主人は千鶴の背後を見て、急に血相が変わった。

「新選組だ、逃げろ」

 主人が店の奥に向かって叫ぶと、柱の陰から男が刀を振り上げて飛び出して来た。

 斬られる。そう思った矢先、目の前を浅葱色の影が横切り次の瞬間には土間に男が倒れていた。千鶴は勢いでよろめき、そのまま腰をついて後ろに転んだ。

「外に出て」

 その声を聞いて、千鶴は目の前に立って居るのが総司だと気づいた。その瞬間、店の主人が物凄い形相で刀を持って総司に襲い掛かるのが見えた。総司は太刀を躱すと、背後から主人の首の後ろを平打ちした。主人は一瞬呻き声をたててそのまま前に倒れた。店の奥からバタバタと足音がして、次々に浪士が総司に襲い掛かる。千鶴は急ぎ立ち上がると。小太刀に手を掛け、助太刀しようと総司の背後に進んだ。

「聞こえないの? 君は外に出て」

 総司はそう言いながら、次々に襲い掛かる相手を倒していく。畳の間の襖が勢いよく開き数人の浪士が飛び出してきた。上がり口から刀を振り上げ迫ってくる。千鶴は抜刀して構えた。

「雪村、下がれ」

 背後から斎藤の声がして肩を押さえつけられた。千鶴は頭を低くして蹲み込んだ瞬間、青い光が頭上を横切った。次の瞬間には、目前で胸から首に掛けて斬られた男が血を噴き出しながら倒れていた。斎藤は千鶴の前に立ち、次々に襲い掛かる相手を薙ぎ倒す。三番組と一番組の隊士が次々に加わり、店内は怒号と剣がぶつかる音で騒然となった。

「雪村を外へ」

 斎藤が背後の平隊士に命じると、死番の隊士は千鶴を庇いながら外に出た。間も無く、枡屋に潜伏する不逞浪士を全て制圧。店の奥から出て来た総司は捕縛した浪士と店主を屯所に連行すると斎藤に告げた。

 即死した浪士二名、捕縛した浪士七名。新選組に負傷者は居なかった。

「副長への報告を頼む。いましがた京都守護職へ伝令をだした。間も無く役人が来るだろう。俺はここに残って後始末をする」

 斎藤がそう言うと、総司は一番組隊士達を集め、捕らえた者を連れて屯所に向かうよう命じた。千鶴は店の外に出て来た総司を見つけると、「沖田さん」と駆け寄った。

「さっきは助けてくださって、ありがとうございました」

深々と頭を下げる千鶴に、

「怪我はない? 先に屯所に戻るけど、一緒にくる?」

「はい、怪我はありません。私は、ここの片付けを手伝ってから、斎藤さんと帰ります」

 そう答える千鶴の顔をまじまじと見つめると、総司は唇の右側を上げながら薄笑いを浮かべた。

「君って、ほんと危なっかしいよね」

「顔じゅう、炭だらけ」

「ええっ」

 千鶴は声をあげて咄嗟に両手で頰を覆った。袂から手拭いをだして泣きそうな顔で顔を拭っている。

「嘘。片付けで煤だらけにならないようにね」

 と言って笑い総司は一番組を連れて屯所にむかった。店の外に出て来た斎藤が、「雪村」と呼び掛けた。千鶴は枡屋の玄関口の斎藤に駆け寄った。

「怪我はないか?」

「はい、さっきは助けて頂いてありがとうございました」

「何故、ここに来たのだ。何があった?」

「父さまに似た人を枡屋で見かけたと聞いて、つい……」

「隊を離れてしまって、すみません」

 千鶴は頭を下げ、俯いたままでいる。

「綱道さんに似た者を見かけたと言ったのは誰だ」

「茶屋の隣の酒屋さんが、此処に届けものを二、三日前にした時に見かけたと」

 千鶴は斎藤を見上げて話した。斎藤は千鶴の目を真っ直ぐに見つめ、わかったと言う表情をすると、平隊士に酒屋に事情を聞いて来るように命じた。

「雪村、隊から離れてはならぬ。俺らはあんたを守るよう命ぜられている」

 斎藤が静かに言うと、千鶴は、はい、と頷いた。

 それから、京都守護職の役人が枡屋に駆け付け、斎藤達は店内を検分した。店の奥の木箱から大量の銃や大砲と弾薬がみつかった。枡屋は炭の商いと見せかけて武器の売買を生業としていたらしく、帳簿には長州藩、土佐藩、肥後藩、薩摩藩が主な取引先となっていた。枡屋喜右衞門は長州浪人を匿っているらしく、攘夷志士の名簿や血判状も見つかった。

 千鶴と平隊士達は検分の終わった場所から、散らかった店内を片付けた。雪村綱道の痕跡は何処にも見当たらなかった。店先の土間には絶命した浪士の遺体が並び筵を被せてある。店の周りに集まる野次馬が店内に入らないように見張る隊士も必要だった。京都守護職への報告がおわると、斎藤達は枡屋を後に壬生へ向かった。もう陽は傾き空は紅焼けている、茹だる様な暑さの中、酷く疲れているにも拘らず、大捕物の興奮で隊士達は充実した表情をしていた。

 屯所に着くと、玄関で井上と山南が三番組を出迎えた。井上は平隊士たちを労うと、そのまま湯が沸かしてある風呂場へ向かう様に命じた。山南は斎藤と千鶴に、副長の部屋に報告に行くよう伝えた。千鶴は台所で水瓶から竹筒に水を汲んで斎藤に渡した。それから二人で井戸で手足を流してから土方の部屋に行った。副長の部屋には山南が居た。斎藤は土方と山南に枡屋での出来事の報告と京都守護職からの申し伝えをした。

「ご苦労。今日捕縛した奴等は、俺らで取調べをした後に守護職へ引き渡す」

「山南さん、尋問の準備をしておいてくれ」

「総司から千鶴が最初に枡屋に飛び込んだと聞いたが、あすこは島田達が討ち入る準備を進めていた。綱道さんらしい男も出入りしている可能性がある。今日捕まえた連中から、ぜってえに何か聞き出してやる」

「それから、千鶴。巡察や屯所の外では絶対に隊列から離れるんじゃねえ。お前は隊服を着ていなくても、俺らに関わってるだけで不逞浪士に狙われる。絶対に斎藤から離れるな。わかったな」

 千鶴は、はいと返事をした。土方への報告が終わると、斎藤と千鶴は部屋に下がった。

 その夜、大捕物を労われた隊士達は平隊士部屋で集まり酒で祝った。死番の隊士が斎藤を呼びに来たが、斎藤は部屋には居らず、平隊士は渋々戻って行った。斎藤は夕餉の後直ぐに前川邸の座敷牢に向かい枡屋の主人の尋問に立ち会った。なかなか口を割らないまま埒が明かず、近藤と土方の指示で拷問にかける事が決まった。子の刻も過ぎた頃、枡屋喜右衛門は肥後藩出の攘夷志士古高俊太郎であると漸く自白。捕縛した長州浪士たちと祇園祭の前の風の強い日を選び、御所の中川宮邸に火を放ち、長州に仇する中川宮を幽閉し、天子さまを長州に連れ去る計画がある事が判った。近く実行する為の集会が四条界隈で開かれる。土方は監察方を集め、集会場所の特定を急ぐよう命じた。

*******

四国屋

元治元年六月

 祇園祭が近づく中、土方の指示で御所のある二条から四条にかけて巡察が強化された。屯所では毎晩のように大広間で幹部が集まり監察方の報告を待っていた。攘夷志士たちが潜伏する旅籠は洗いざらい捜索の対象になった。一方で新選組の平隊士たちは、慣れない京で暑気あたりを起こし寝込む者が多かった。巡察に出られる隊士は圧倒的に足りず、体調のいい者は組を掛け持ちで巡察にあたらなければならず、皆疲労困憊していた。千鶴は枡屋の一件以来、巡察に出る事は禁止された。隊士の人数が足りない状態の同行は危険という土方の判断だった。それでも千鶴は屯所で出来る事を見つけて、くるくると動き回っっている。

 茹だるような暑さの夕方、斎藤が巡察から戻ったとき、千鶴は中庭で打ち水をしていた。

「おかえりなさいませ」

 千鶴は手を止めて斎藤をみると、何かを思い出したように井戸に向かって走っていった。斎藤も汗を流す為に井戸に行くと、千鶴は釣瓶を引き上げて井戸水で冷やした竹筒を持って台所に走って行き、斎藤が濡れ手拭いで汗を拭き取り終わる頃、再び千鶴は盆を抱えて戻って来た。

「斎藤さん、梅水を用意しました」

 千鶴はくれ縁に盆を置いた。斎藤は長着を着直すと縁側に腰掛けた。千鶴は湯呑みに土瓶から透明の液体を注いだ。湯呑みから仄かに梅の香りがする。斎藤は、冷たい少し塩気のある水を飲んだ。酸っぱくて清涼感がある。

「もう一杯どうぞ」

 千鶴は笑顔で湯呑みを注いでくる。

「ああ、頂こう」

 と言って斎藤は一気に飲み干した。

「梅水か、美味いものだな」

「はい、八木の奥様に白梅酢を分けて頂いたんです。お米を炊くときにも使っています。梅酢は疲労回復に効きます」

 千鶴はもう一つの湯呑みに別の茶瓶から水を注いだ。

「湧き水です。お口直しに。冷たいうちにどうぞ」

 斎藤は、勧められるままに飲んだ。

「生き返るな。礼を言う」

 優しい眼差しでそう言うと、斎藤は手拭いと大小を持って部屋に戻って行った。疲れた様子を決して見せない斎藤の背中を見ながら、千鶴はもっと何か出来ないかと考えた。

(そうだ)

 千鶴は思い立ち台所に戻った。そして屯所で寝込む平隊士の為に大鍋で粥やおもゆを作り平隊士部屋に届けた。

***

 斎藤達が巡察に明け暮れたある日、陽が傾く頃から急に強風が吹き始めた。近藤の指示で夕餉を早目に終えると、幹部達は隊服に着替えて大広間に集結した。千鶴は廊下を急ぐ藤堂平助から、「いよいよ始まる」と伝えられた。

「攘夷の連中達を討ち取るぜ」

 と言って平助は千鶴に笑いかけた。攘夷志士達は三条小橋の向こうにある四国屋旅館、祇園の井筒屋、同じく三条木屋町の池田屋で集まることが判った。本命は四国屋。土方が井筒屋を先にあたり、その後に四国屋へ向かう事になった。

「斎藤、原田、源さん、隊士を集めてくれ」

 土方の指示で斎藤達は直ぐに待機させていた隊士を玄関に集めた。皆、隊服を着て鉢金を巻き中には鎖帷子や肘当てを付けている者も居た。八木の主人が出陣の縁起担ぎにと松明を焚いた門前で、武者震いする隊士を前に斎藤が士気を鼓舞している。

「いよいよ我等に仇なす者を討ちに行く。三番組、六番組、十番組は副長と隊を組む事とあいなった。皆臆する事無く存分に剣を振るえ」

 皆が静止して斎藤に頷く。その背後から土方が現れて先頭に立った。

「いいか、まず四条に向かう。建仁寺から井筒屋へ。斎藤、先に井筒屋へ偵察にまわれ」

「御意」

 斎藤は死番の隊士と伍長を連れて駆け出した。建仁寺の境内は閑散として人影は見えず。井筒屋に着くと、ただちに伍長と平隊士は店の裏手に回った。斎藤は建屋のはす向かいの路地に身を潜め表玄関を見張った。平隊士は機転を利かせて裏口から建家の中に入り、大台所の勝手口で御免と断り洗い物をしている下働きを呼びつけた。

「喉が渇いたから、水を貰えないか」

「ああ、うまい。潤った。礼を言う」

 隊士は柄杓を返しに台所の中に入って行った。

「今晩は大口の宴会でもあるのか?」

と何気なく装い下働きの男に探りを入れた。まもなく、斎藤のもとに死番の隊士が戻った。

「組長、はずれです。井筒屋はもぬけの殻です」

 斎藤は頷くと、直ぐに伍長と合流し建仁寺に向かって駆け出した。途中で土方達が合流。そのまま四国屋へ直行した。土方の指示で旅館の裏手と玄関に隊は分かれた。店の中には合図があるまで入らず、人の出入りを確かめる。時刻は五つ半時を過ぎていた。

 風は益々強く吹き、辺りの人通りも少なくなってきた。斎藤はそっと鯉口を切った。表通りから建家の空を見上げると上弦の月が紅く輝いていた。

つづく

(2025.11 加筆修正)