濁りなき心に24
九月に再征長の勅命が下り、近藤は長州訊門使役として西国へ下った。一行の道行は芸州藩迄順調よく進んだが、長州の関所で役人に足留めされた。幕府の手形は通らず、藩境での長州藩要人との面会も叶わず、一行は長州藩入りを諦めざるを得なかった。
近藤達が動けずにいた間、伊東は武田観柳斎を伴い安芸から土佐へと渡り遊説を行った。土佐藩で、薩摩藩の要人と秘密裏に接触。既に薩摩藩は長州征討への不参加の意を表明していた。列強が開国を迫る中、薩摩藩では幕府の攘夷鎖国論ではもはや立ち行かず、新たな日本を作ろうとする大久保利通や西郷隆盛などの強硬派が台頭。伊東は自説の勤皇攘夷論を展開し薩摩藩への協力を申し出た
山崎烝は幕府目付役永井と近藤の身の安全の確保の為、芸州内を奔走した。この間、伊東の動きについて知る術はなかった。近藤達の西国出張中に、英国、アメリカ、オランダの軍艦が神戸港に再び入り開国を要求。将軍家茂は朝廷の許しを得ないまま開国要求を受け入れ、朝廷の怒りを買う事態になった。この軋轢を解消する為、京と大坂を奔走し最終的に勅許を得たのは将軍後見役の一橋慶喜であり、朝廷内で将軍家茂への失望が広がった。
幕府の力が急速に弱まる中、諸国雄藩も財政悪化で長州征討への士気が下がっていた。近藤は各藩を周りながら、再征討は困難だと強く実感した。
(長州藩が恭順の姿勢を見せている限り、戦を仕掛ける必要はない)
新選組局長という名目は非常に反感を買い、長州への入国拒否に遭った。近藤が西国の現状を目の当たりにしている間、京の新選組は会津藩から戦への要請もなく、通常の任務についているだけであった。
夏の終わりから続けていた御堂での闇練は、十月に入ってから総司が発熱を頻繁に起こすようになり、斎藤が独りで行うようになっていた。千鶴は夜半も総司の看護につくことがあった。
冷え込んだある朝、斎藤は自分の隊服を探していた。千鶴が持って来た洗濯物の中にもなく、千鶴は朝方に部屋に戻って眠っていたので、斎藤は朝餉を千鶴の部屋に置くと、行李から黒い羽織を引っ張りだして巡察に出た。北風が強く吹く中、二条まで見廻りして屯所に向かって歩いていると、壬生馬場町で誰かに呼び止められた。斎藤が振り返ると、八木邸のお雅が大きな風呂敷包みを抱えて立っていた。
「斎藤はん、やっぱり。巡察、御苦労さまでございます」
お雅は会釈をすると、斎藤に近づいた。
「ご無沙汰しております」
斎藤も笑顔で挨拶した。
「此れから屯所へお戻りですか?」
斎藤がそうだと答えると、お雅は其れならと手に抱えた荷物を掲げて斎藤に見せた。
「これ、柿の実です。知合いにお土産に頂いたものです。余りに仰山で、ご近所に配ろうと思ってここまで抱えて来たんですが、えろお、重うて。丁度良かった。もし、ご迷惑でなければ、新選組の皆さんで召し上がって貰えまへんやろか」
斎藤は、お雅の荷物を下から支えようと前に出ると、そのまま風呂敷包を受け取った。
「あー、しんどかった」
お雅はほっとした表情で笑った。
「八木邸までお持ち致そう」斎藤は微笑して、三番組に壬生に向かう様に合図した。
「いいえ、そないな事をお願いしたら、主人に怒られてしまいます」
お雅は首を振って固辞するので、斎藤はお雅を壬生町の通りまで送って別れた、結局柿の包みを隊士が抱えて屯所まで持ち帰った。屯所の台所に柿の籠を置くと、その中から二つ実を持って千鶴の部屋に向かった。
「雪村、いるか」
障子が開くと千鶴が笑顔で「おかえりなさい。巡察お疲れ様です」と斎藤を招き入れた。
「お茶をお持ちしますね」と言って台所に向かった。
千鶴は繕い物をしていたらしく、斎藤の隊服が座布団の前に拡げてあった。部屋の中は暖かく、ほんのりと甘いいつもの千鶴の香りが漂っていた。斎藤は柿の実を千鶴の文机に置いた。腰の大小を抜くと、羽織を脱いで胡座をかいて座った。
突然、背後から
「千鶴ちゃん、もう一刻過ぎたー?」
総司の気だるい声が聞こえた。斎藤は跳び上がって後ろを振り返った。 屏風の裏を覗くと、千鶴の蒲団の中で総司がうつ伏せていた。
「あれ、はじめくん。もう巡察は終わったの?」
総司が振り返りながら、斎藤を見上げた。
「ああ」と答えながら、斎藤は火鉢に仕掛けてある鉄鍋を見て、総司が手当をされているのに気がついた。
「じゃあ、もう昼八つ?」
総司は腕を重ねて枕にした。その時、「お待たせしました」と千鶴が障子を開いて戻って来た。斎藤を見て「沖田さん、お目覚めですか?」と笑顔で尋ねる。
「ああ」
と斎藤が答えると、千鶴はお盆のお茶を斎藤の前に置いた。それから、総司の上蒲団を剥ぐって、背中に置いた湿布を取り除くと手拭いで汗を拭った。総司の顔色は青白く夏の頃より痩せて見えた。
「僕、一刻以上眠ってたみたいだね」
「ぐっすり眠ってらっしゃいました。気分はいかがですか?」
「うん、夢をみてた。寝間着を着替えたい」
「はい、お着替えをしたら敷布も取り替えましょう」
千鶴は総司の首の後ろや背中に手を当てて熱があるか確かめると、手際よく着替を手伝った。総司が着替えている間に敷布を取り替えて蒲団を整えた。
「白湯をどうぞ。お腹は空いていないですか?」
総司は首を横に振った。千鶴は、寝間着や敷布を片付けると、斎藤の側に火鉢を移動した。
「今日は真冬みたいに風が冷たいですね。斎藤さん、巡察に羽織が間に合わなくてすみません」
「よい、今日は自分の羽織を着て行った。帰りに八木のお雅さんに会った。柿の実を貰った故持って来た」
斎藤が文机の柿を見せると、千鶴は喜んで、一緒に食べましょうと言って台所に向かった。
「さっき、近藤さんの夢を見たよ。僕が小さい時の。試衛館の道場で稽古をつけてくれて。宗次郎、来いって笑うけど、僕の木刀はどうやっても近藤さんに届かない」
「局長は芸州の広島藩邸に留まられているそうだ。副長が言っておられたが、戦は暫くは無いらしい」
「そう、それじゃあ、近藤さんまだ戻って来ないんだ」
「会津藩が動けば、我々も長州に向かう事になるだろう」
「土方さんは、何しているの? 近藤さんが身を張って敵陣に向かっているのに」
「副長は新選組を守っておられる。今日も朝から黒谷で軍議があるからとお出掛けだ。夜には戻って幹部が集まる事になるだろう」
「今は、神戸の港が夷狄に占領されていると聞く。場合によれば、御所を護衛するよう守護職から要請されるやも知れぬ」
総司は、ずっと天井を見つめたまま黙っていた。
その時、千鶴がお盆を抱えて戻って来た。屏風をずらして、斎藤が座る場所を作ると、柿の実の載った皿を斎藤に差し出した。総司には、小さく一口大に切った実を楊枝で刺して食べさせた。幼な子の様に口に食べ物を運ばれている総司を見て斎藤は微笑んだ。
「なに、はじめくん」
「童の様だな」
「はじめくんもして欲しい?」
「馬鹿を言うな」
「千鶴ちゃん、はじめくんにも、あーんてしてあげて」
千鶴は、斎藤の顔とお皿を交互に眺めると、「それでしたら、もうちょっと小さく切ってくれば良かったですね」と笑った。
斎藤は、千鶴の構わない様子に、段々と恥ずかしさが募って来た。
「いや、俺はこれで良い」
斎藤は自分の頰が熱くなっているのを感じた。
「こうして、屏風で囲われた中に居ると、小さい時みたい」
千鶴はそう言うと、嬉しそうに声をたてて笑っている。
「小さい時に家の中で独りで遊ぶ事が多くて。戸棚の間に衝立や布で小さな部屋を作ってお菓子を持って入って遊んでたんです」
「そのお部屋には、私の兄様がいて、二人で菓子や飲み物を分けて、美味しいねって」
「千鶴ちゃん、お兄さんがいるの?」
千鶴は首を横に振って。
「いいえ、でも小さい時は、自分には兄様が居るものだと思い込んでました。兄様はお優しくて、お菓子も最後には私に全部食べなさいと」
「それで全部食べっちゃったんだ」
千鶴がこっくりと頷くと。
「君って、本当に変な子だね」 と言って総司は肩を震わせて笑った。斎藤は微笑みながら、千鶴を眺めた。総司は夏の無理が祟って、此処のところ寝込みがちだ。近藤さんが居ないと不貞腐れ、副長に八つ当たりをするのが常だが、こうして千鶴が居ると総司は良く笑う。俺をからかうのも元気な証拠だ。斎藤は、総司が大丈夫だと思った。千鶴がこうして総司の世話を続け、局長が戻り山崎が新しい薬草を持ち帰って総司はきっと良くなる。斎藤は、総司がまた自分と一緒に剣を振るうと信じて疑わなかった。
つづく