小説 - 斎千 - 濁りなき心に

黒谷の短冊

濁りなき心に27

慶応二年三月

 昨年の暮れ以来、松本良順が屯所に診察に来なくなった。

 大坂城内に病人が出ているらしく、上洛が叶わないと土方の元に文が届いた。屯所内の衛生管理は、軽鴨隊のお蔭で行き届いていた。山崎が持ち帰った薬草の効果か、総司は床上げをして、日中屯所内で過ごす様になって居た。そんなある日の出来事。

 千鶴が斎藤と巡察から戻ると、部屋の様子が普段と違う様に感じた。

 総司の蒲団を日中干す間、千鶴は自分の部屋で総司に昼寝をしてもらって居た。総司の夜半の寝汗は酷く、留守中の山崎の蒲団と毎日入れ替えて、総司の寝間の準備をしなければならなかった。それでも最近は日中の仮眠も必要無くなった様子で、千鶴の蒲団も使う事がなかった。

 千鶴が屏風の裏を覗いても総司の姿はなかった。ふと、屏風に目をやると、いつの間にか短冊が数枚貼りつけてあった。

 公用に出て行く道や春の月

 梅の花壱輪咲ても梅はうめ

 朝茶呑みてそちこちすれば霞なり

 うぐひすやはたきの音もつひやめる

 美しい手跡で書かれた歌を読んで、千鶴は総司が貼ったものだと判った。

「春の句が四首も」

 千鶴は、総司が日中に起きて活動して居る事を嬉しく思った。千鶴は障子を開け放して、部屋の掃除に取り掛かった。斎藤の許可も得て、斎藤の部屋との境にある襖も開け放ち、廊下に雑巾掛けをした。ふと、廊下の向こうから、

「誰だ、俺の文箱から取ってった奴は」土方の怒鳴り声が聞こえてきた。

「おい、総司」

 土方が総司を追い掛けて廊下を走る音が聞こえた。斎藤と平助が渡り廊下から千鶴の元へやって来た。

「雪村、掃除の礼だ」

 斎藤はお団子の包みを千鶴に渡した。

「有難う御座います」

 千鶴は礼をいってお茶を入れに台所へ行こうとした時に、道場から新八が廊下を歩いて来た。

「よ、千鶴ちゃん。今、土方さんが物凄い顔して総司を追い掛けて走ってった」

 新八はそう言うと、部屋に向かって行った。

「私も土方さんの声が聞こえました。永倉さん、今平助くん達にお茶を入れようと思って。永倉さんも如何ですか」

「お、わるいな。俺のも入れてくれるかい? 平助の部屋だな」

「いいえ、皆さん私の部屋の前の廊下にいらっしゃいます」

 千鶴は急いでお茶を入れて戻った。平助達は千鶴の部屋の中を覗いていた。

「やっぱり、此れだろう」

「だな。あの剣幕だ」

「ひょっとして、千鶴にまでとばっちりが来ちまうかも」

 ヒソヒソと三人で話している。

「お待たせしました」

と千鶴が背後から声を掛けると、三人は振り返って障子を閉めた。

「おお、千鶴ちゃん。有難う」新八が喜んで礼を言った。

「私の部屋が良ければ、どうぞ」千鶴は障子を開けて部屋に皆を招き入れた。

 其処へ土方が総司の耳を引っ張るように廊下を走り、総司の部屋に駆け込んだ。

「痛いよ、土方さん。病み上がりなんだから」

「何が病み上がりだ。早く出しやがれ」

 総司の部屋から、一際大きい土方の声が響いた。新八達は、千鶴の部屋から顔を出して事の成り行きを伺っていた。

「ねえじゃねえか。何処へやったんだ」

「無いって、何がです。土方さん」

「すっ惚けんじゃねえ。短冊だ。俺の文箱に黒谷和紙の上等のが入っていただろう」

「短冊なら、 ちゃんと僕が俳句を書いて飾ってありますよ」

「出せ、とっとと出しやがれ」

「此処には無くて。ちゃんとした場所に飾ってありますよ」

「何だと」

 此れを聞いた斎藤が、さっと立ち上がり自分の部屋に繋がる襖を開けた。

「新八、雪村をこっちへ早く」

 斎藤は静かに平助達に目配せした。新八達は事を察して、千鶴を取り囲み、人差し指を口の前に持って来て「静かに」と言うと、斎藤の部屋に移動した。

 暫くすると、「おい、千鶴、居るか? 俺だ、開けるぞ」と廊下から土方の声がした。

 千鶴は新八達に声を立てないように言われ、じっと黙って襖に聞き耳を立てていた。障子を開け放つ音が聞こえた。暫くの沈黙の後。

「おい、総司、何てことしてくれたんだ」

土方の声が轟渡った。

「此れはな、新選組が出来た時の初めての給金で買った短冊だ」

「俺の取って置きの俳句を詠む時に、特別に取っておいたんだ」

 土方の絞り出すような声が聞こえた。

「だから、こうやってちゃんと飾っているじゃない。豊玉発句集」

 総司のとぼけたような声が聞こえてきた。

「お前は、わかんねえ奴だな。これはそこらの短冊とは訳が違うんだ。幻の和紙なんだよ。手に入んねえ白もんだ」

「へえ、そうなの。良く墨が伸びたよ。なかなかの出来でしょう」

 物がぶつかる激しい音がして、千鶴は怯えた表情をした。斎藤は、襖を少し開けて千鶴の部屋の様子を伺った。同時に千鶴を庇うように後ろ手を伸ばした。襖の隙間から取っ組み合う総司と土方の姿が見えた。馬乗りになった土方が拳を振り挙げて怒鳴った。

「歯を食い縛れ」

 その時、廊下から井上の声がした。

「トシさん、其処に居るのはトシさんかね」

 障子が開く音が聞こえた。

「やっと見つけた。さっき広済和尚が見えて、トシさんに火急の用があるってね。部屋に居ない様だと伝えたら、本堂で待って居るって帰って行ったよ」

 土方は拳を降ろすと身を解いて立ち上がった。

「また、宗次郎が何かやらかしたのかい?」

 井上は仕方がないという表情で総司を見下ろしている。

「こいつは、俺の短冊を悪戯に使いやがった」

 総司は起き上がって胡座をかいている。井上は総司の背後の屏風を眺めた。

「へえ、中々に風流じゃないか。トシさん、これはトシさんの句だね」

「見事なもんだ。私は素人で俳句は良くわからないが、みんな今の季節にぴったりじゃないか。良いものだねえ。私の部屋にもこんな屏風を置きたいよ」

「……」

 思わぬところに現れた井上の思わぬ程の褒め称え様に、土方は総司への剣幕を完全に削がれてしまった。襖の向こうでは、新八達が必死に笑い声を堪えていた。

「おい、角が引っ込んじまったよ」

「流石、源さん。すげえな」

「見てみろよ、照れ笑いしてるぜ。土方さん……」

「源さん、有難うよ。和尚のところには直ぐに行く」

土方は井上にそう答えると総司に向き直った。

「総司、今度俺の部屋から何か持って行きやがったら、只じゃおかねえぞ」

 そう言って土方は千鶴の部屋から出て行った。

「宗次郎、相変わらずお前の筆は立派だね。おみつに文でも書いたらどうだい。きっとお前の便りを喜ぶよ」

 井上はそう言って微笑むと部屋を後にした。屏風の前に座ったまま総司は襖の向こうに声を掛けた。

「良い加減出てきたら」

 襖を開いて斎藤達が千鶴の部屋に入っていった。

「僕が酷い目に遭っているのに、みんな随分薄情だね」

 総司は不貞腐れた顔で皆を見上げた。

「いや、あんな怒髪天の土方さん久し振りに見た」

新八が笑いながら話した。

「わるかったな、総司。千鶴まで巻き込まれそうだったからさ」

平助が笑いながら胡座をかいた。

「沖田さん、この短冊。私、土方さんに同じ物を見つけてお返しします」

「千鶴はいいんだよ、そんな事しなくて。どうせ総司が勝手に貼ったんだろ」

「でも、私のお部屋に置いてある物ですから」

「千鶴ちゃん、この短冊気に入った?」

と総司が千鶴に尋ねた。

「はい、美しい手跡で気に入っています」

「俳句はどう?」

「俳句は、その……」

 総司は肩を震わせて笑って居る。

「気に入って貰えて、嬉しいよ。今度は夏の句を貼ってあげるね」

「総司、悪ふざけは大概にせぬか。副長は発句集をとても大事にしておられる」

「はじめくんは解ってないね、土方さんが大事にすればするほど面白いんじゃない」

 そう言って総司は立ち上がると、部屋を出て行こうとした。

「沖田さん、待ってください。さっきお茶を入れて来たんです。皆さん、もう一度入れ直しますので、待っててください」

 千鶴は台所へ走って行った。お湯を沸かしている間、台所に居た井上と千鶴の部屋での騒動について話し込んでしまった。千鶴が席を外している間、斎藤は、新八達から、斎藤と千鶴の部屋が襖一枚で繋がって居るのはおかしいと言い掛かりを付けられていた。

「土方さんがこんな部屋割り決めたってのが、俺は不思議でならねえ」

 ごろんと畳に横になった総司が腕枕で皆に向いて話す。

「そうでしょ、病に臥せってる僕が千鶴ちゃんと壁で隔てられて、はじめ君が千鶴ちゃんと同じ部屋なんてね。それに何で山崎くんと僕の部屋が襖で繋がってるのか。おかしいよね」

「総司は、それでいいんだよ。山崎君に介抱されんだから。それよりはじめくんだよ」

 平助が納得行かない様子で怒り出した。

「そうだよね、夜這いし放題だよね。はじめくんは」

と総司は唇の右側だけ上げた皮肉な表情で笑った。

「な、何をいっている」

 斎藤は真っ赤になった。正座したまま膝に置いた拳を握りしめている。

「俺は、さっきまで此の襖に手を掛けた事は一度もない」

「本当かよ」

新八がからかう様に笑った。

「ああ、誓って言う。俺は屯所を移ってから、緊急時以外は決して自分からこの襖を開かぬと己に誓った」

「でもさ、こんな襖一枚だと、寝息でも聞こえんじゃない?」

平助がたたみ返す。

「僕さ、山崎くんの鼾で眠れない時あるんだよね」

と総司が不満そうに呟いた。

「へえー、千鶴も鼾かくのかなぁ」

平助が呟くと、皆が一斉に斎藤を見た。

「知らぬ。俺は雪村の鼾は一度も聞いた事がない」

「ふうーん、千鶴ちゃん、鼾はかかないんだね」

「千鶴ちゃんは、かかねえよ。女の子は普通かかねえんだよ」

新八は納得しながら言った。

「他には、はじめくん。何か聞こえる?」

平助の詰問が続く。

「……時々鼻歌を歌っている」

「なに、鼻歌?」

「ああ、機嫌がいい時にな」

「他は? 鼻歌以外、なんか聞こえる?」

「……何もない。俺は聞き耳を立てている訳ではない」

(雪村は時々部屋で一人泣いている。声を堪えて)

 斎藤は、それきり黙った。平助達は、次に部屋割り移動がある時は、千鶴の隣の部屋にして貰うよう土方に直談判しようと言い出した。

 それから、千鶴が台所からお茶を持ってきて、お団子を皆で分け合って食べた。総司は開け放った千鶴の部屋の障子の向こうにひと気を感じて居た。久し振りに起き出すと、屯所の様子は変わっていた。日中に殆どの幹部が屯所から出払って、平隊士が北集会所の周りにたむろしている事が多い。監視。影を感じる。土方の苛立ちは、其れが原因か、それとも、近藤さんの不在か。新八達と笑いながらも、総司はそんな事を考えていた。斎藤もそんな総司に気づいて居るのか、ずっと刀から手を離さない。

(寝てる場合じゃないね)

 総司は自分の右手を握りしめた。

 本願寺の用向きから戻った土方は、総司の悪戯に辟易したのか、良順に「総司の回復著しく候」と返信した。翌週より、土方は総司に昼間の短い巡察に出る事を許可した。総司は再び一番組の組頭になり、日中の道場での稽古も再開した。但し、土方は良順からの文で夜間の闇練を総司に禁じるよう念を押された。斎藤にも注意をして御堂での鍛錬をさせないようにした。

つづく