小説 - 斎千 - 濁りなき心に

柳に番傘

濁りなき心に28

慶応二年四月

 朝から雨がぱらつく鬱陶しい日、千鶴は午後の片付けが終わり、自室に戻ろうとした時に表廊下に独り座る新八を見かけた。

「永倉さん、今日は巡察はお休みですか?」

「おっ、千鶴ちゃんか。巡察は朝の内に終わった。午後は非番だ」

「そうですか。私も今用事が終わったところです」

「そうかい、今日は軽鴨たちは、稽古か?」

「はい、体術の稽古だって、道場に行っています」

「三木のか。ふーん」

「斎藤さんも行かれたんです」

「ふーん。斎藤もか」

「みんな出払って、俺はぼーっとしてんだ。千鶴ちゃん、何かやりたい事はねえか?」

「私ですか。特に何も……」

「永倉さん、私、小豆を炊いたんです。黒砂糖も手に入ったので、餡子にしようと思っていて。もし良かったら、一緒に召し上がりませんか?」

「おお、良いね」

「じゃあ、作って持ってきますね」

 千鶴は、台所で餡子を固めに作ると、丸めて水で溶いた地粉を付けてお焼きにした。お茶を入れて、土方に持っていこうと廊下に出ると、雨がバラバラと降って来た。土方は部屋で、書き物をしていた。帳簿や文が山積みになった文机の前で頭を掻きむしっていた土方は、

「あーあ、幾らやっても終わらねえ。お、きんつばか。ありがとよ」

 と言って、土方は一旦文机から離れた。

「はい、今急に強く雨が降って来たので、巡察の皆さん、早く引き揚げて来られるかもしれませんね」

 千鶴はお代わりのお茶を入れに部屋を下がった。新八と自分のお茶も一緒に用意して、土方の部屋に持って行った。一服した土方は少し落ち着いた様に見えた。土方の部屋を出てから新八の部屋に行ったが、新八は部屋に居なかった。表階段に戻ろうとしたら、千鶴の部屋の前で新八が座って居た。

「千鶴ちゃん、お茶飲みながら、こいつやろうぜ」

 新八は花札の箱を手に持っていた。

「花札。もう長い間やっていないです」

 千鶴は笑顔でそう言うと、部屋の障子を開け放ち、座布団を拡げて準備をした。

 永倉は、胡座をかいて座ると、美味い美味いとお焼きを頰ぼって喜んだ。

「千鶴ちゃんから、親でいいぞ」

「はい」

千鶴は座布団の前に座ると、山から手札を配った。

「お、きたきた。イイねー」

新八は上機嫌で手札を並べ替えている。

「それでは、萩に猪」

千鶴は、札をとって笑っている。

「お、猪か。じゃ、俺は梅に鶯、柳に燕、牡丹に唐獅子、竹に虎、っと、チョチョイのチョイっと」

「では、私は菖蒲に八ツ橋」

千鶴は、カス札で上手く獲れた札を嬉しそうに眺めている。

「あやめと書いて、しょうぶだよっと。俺は、此れで」新八は桜と幕をとった。

「かきつばた。唐衣 きつつなれにし 妻しあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思う」千鶴は菖蒲に赤短と牡丹と蝶を取った。

「お、いいのを取ったな。猪鹿蝶を狙ってんな。此れでどうだ。それ、松に(千)鶴ちゃんっと」

 千鶴はクスクスと笑う。

「では、桐に鳳凰」

千鶴は一緒に藤に赤短も取った。

「桐に鳳凰、これっきりと。どうだい、千鶴ちゃん、勝負か」

「いいえ、まだ」

千鶴は真剣に新八の札を見詰めている。

「こいこいか、じゃ、俺は此れで勝負だ」

「柳に番傘。雨が降っちゃ、お終いよ」新八は雨四光を並べて、満面の笑みでガハハハと笑った。

「参りました」

千鶴はガックリと肩を落とした。

「いい勝負だったぜ、菊が来てたら、俺は負けてた」

「もう一回お願いします」

千鶴は、文机に走ると半紙と硯を出して、点数を書き込んだ。

「お、火が点いちまったか。いいぜ」

新八は、札を切り直して笑う。

「永倉さん、私、真剣ですから」

 千鶴は真顔で座布団の前に正座した。

 新八は千鶴の気迫に押されて、二戦連敗した。その頃には、二人でお茶を飲む事も忘れて、すっかり札に夢中になっていた。

「み吉野の 高峰の桜 散りにけり あらしもしろき 春のあけぼの」

 桜に赤短をとった千鶴は、一句読んでほくそ笑むと。

「飲みに赤短、勝負」

 真剣そのものの表情で、手札を並べた。

「くわー、 参った」

 新八は手札を投げると後ろにひっくり返った。

「狡いぜ、千鶴ちゃん。カス札で誘うなんてよ」

 千鶴は笑いながら、これで八十文と点数表を付けている。新八も 千鶴も廊下に暫く斎藤が立っていたのに気付かなかった。

「楽しみ中をすまぬ。雪村、俺は此れから広間で講義だ。風呂番は宮川に頼んである」

「わかりました。斎藤さん、休憩はされないのですか?」

「いいや、さっき部屋に置いてあったきんつばを食べた。美味かった。礼を言う」

 斎藤は微笑しながらそう言うと廊下を歩いて行ってしまった。

「斎藤は伊東さんの講義に出てんだな」

 新八は起き上がると呟いた。

「はい、伊東さんがお戻りになられてから、よく出ていらっしゃいます。私も伊東さんに参加するように言われたんですが、斎藤さんが、俺ひとり顔を出せば済む事だと仰って。最近は以前にも増してお忙しくされていて」

「そうか」

 新八はぽそっと呟くと、気を取直したように花札を続けた。

 その内に雨の巡察から戻った平助と左之助が加わり「おいちょかぶ」が始まった。千鶴は、三番組平隊士の宮川に呼ばれて大浴場に向かった。三人は一株一文で勝負したので、興が高じ、千鶴が浴場から戻っても夕餉の時間になっても札遊びをやめなかった。三人の馬鹿騒ぎは、土方の知れる事となり、忙しさで虫の居所の悪かった土方は激昂した。結果、千鶴も含めて夕飯は取り上げ、四人は朝まで部屋で謹慎を言い渡された。

 夜も更けた頃、千鶴は部屋で繕いものをしていた。すると障子の向こうから、新八の声がした。

「千鶴ちゃん、俺ら此れから出掛けるんだけど、一緒にでねえか?」

「でも、部屋から出るなって、土方さんが」

「いいんだよ。夕飯も食い損なったんだ。俺も左之も平助も、腹が空きすぎて朝までもたねえ。腹減ってるだろ。何か美味いもの食いに行こう」

 千鶴は半分引き摺られるように、外に連れ出された。泥濘んだ道を番傘を指して歩いて行った。島原とは反対方向の道の先にあった居酒屋に入ると、三人はお銚子を頼んで飲み始めた。

「それにしても屯所は息が詰まるぜ。前は巡察がなければ、島原行っても何も言われなかったのに」

「昼間の非番に出掛けるのに、わざわざ土方さんに断んなきゃならねえっつうのが、おかしいんだよ」

「やたらと、俺らの事に文句ばっかり言ってよ。巡察も俺らの組は一緒にならねえ様にしていやがる、ったく向かっ腹が立つ」

 三人は、土方への不満を一斉に話し出すと、止まらなくなってしまっていた。千鶴は、昼間に独り廊下で座って居た新八を思い出した。最近は、土方も斎藤も、皆が忙しい。息抜きの時間も取れないと、こうして不満が溜まってしまうものなのだろう。三人はたらふく食べて飲んで、気分は晴れた。千鶴は、ほろ酔いの三人と雨上がりの夜道を歩いて屯所に帰った。

 北集会所の表階段の上に土方が腕組みをして座っていた。

「おい、お前ら、何処をほっつき歩いてんだ」

 土方の顔は、月明かりで青白く、怒りに満ちた表情で厳しく階下の千鶴達を見下ろしていた。新八は、皆を誘ったのは自分だからと千鶴達を庇った。千鶴は新選組の厳しい禁令と其れを破って処分された隊士達を知って居た。このままでは新八が一身に罪を被ってしまう。

「私が、悪いんです。お腹が空いてしまって我慢が出来なかった私を皆さんが食事にと連れ出してくれたんです」

「俺が誘ったんだ、土方さん」

左之助が声を上げた。

「俺もだ。腹が減ってどうしようもなかったんだよ」

平助もそれに続いた。土方は全員を部屋に呼んだ。四人は激しく叱責され、処分を言い渡されると覚悟を決めたが、土方は落ち着いた様子で、新八達の不満や不平に気づいて居たと逆に謝罪をした。虚を突かれた様に、四人は話を聞いた。西国から戻った伊東から試衛館派の隊士の結束が強く、優遇され過ぎていると指摘があったと土方は説明した。立場上、公平に隊を取り纏めないとならない。壬生に居た頃の様には振る舞えないと。土方は、自分に非があると謝り続けた。

 新八達は土方には敵わないと思った。伊東の様な参謀が幅を利かせ、近藤は幕府の用向きで屯所に寄り付かない。新選組を仕切る土方が見えない所でしている苦労に初めて気が付いた。新八達と土方は和解した。外に出掛ける時は派手に飲み歩く様な事は控えると、新八達は土方に約束した。

 千鶴は、汚れた足袋を脱いで部屋に入ろうとしたら、斎藤が渡り廊下を戻って来た。浴場に行って居た様で髪が濡れて居た。

「今戻ったのか」

 斎藤は千鶴を見て驚いていた。

「はい、さっき外から戻りました。本当は謹慎して居ないと駄目だったんです」

「副長から処分を聞いていた。さっき握り飯を持って行ったら部屋に居なかった故、新八達と出掛けたのだろうと思って居た」

 千鶴は斎藤に心配をかけてしまった事を詫びた。

「誰にも見られぬ内に部屋に入った方が良い」

「はい、有り難うございます。おやすみなさい」

 斎藤は微笑した。千鶴が部屋に入ると、その足で土方の部屋に向かった。

 土方の部屋で、斎藤は伊東が広間に隊士を集め、弱腰の幕府を頼るのは間違い、土佐や薩摩藩に新選組は協力して真の攘夷を目指し、孝明天皇を守る必要があると説いていたと報告をした。三木が師範を務める体術の稽古は、伊東の講義に出ている勤皇派で固まっていることを報告した。土方は、何も言わずに斎藤の報告に耳を傾けた。

 斎藤が部屋を下がる時に。

「こんな仕事を頼んで、本当に済まねえ」

 と土方は呟いた。

「心配には及びません」

 斎藤は一言そう言うと、一礼して下がった。土方は、斎藤が閉めた障子を見詰めて、大きく溜息をついた。

つづく